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■角栄のきくばり
角栄は自分の食だけでなく、周りの人間の食にもこまやかな気配りを見せた。 自身の弁護団の為に弁当のメニューを自ら考え、歯の悪い弁護士にはやわらかいものをおかずにするなどの気遣いを忘れなかった。また、自宅門前で取材中の記者たちにそばをふるまうなど、「親交を結ぶべき職業は、銀行、新聞記者、そして警察」という発言通り、これらの人々とは絶対にケンカをせず、うまくやっていくことが角栄が政治家としてエラクなる為の信条だった。

■正月の田中邸
正月の目白の田中邸には多くの年始客が集まった。おせちは全てホテル・ニューオータニに注文し、車で田中邸に運び込まれた。
その内容は、

・寿司
・ゴマメ
・煮豆
・かまぼこ
・焼き肉
・ミカン
・ピーナッツ


などで、毎年150人分を用意。足りない分は地元寿司屋の「一勢」や天麩羅屋からの出前で補った。

天皇・皇后両陛下の写真を飾った部屋の中央に坐し、30分ごとにビールを抜き、自ら年始客についで回るのが角栄の接客スタイル。

飲み物は、
・スコッチ・ウィスキー
・ブランデー
・日本酒
・ビール
などで、盛大にふるまった。

大変な酒豪でもあった角栄、若い頃は酒なら何でもOK。一升瓶を空けるなんて序の口で、50代までブランデーのボトル一本を午後の8時には空けてしまっていたほどの大酒のみだった。歳とともにブランデーの水割りになり、糖尿病の気が出てきてからはオールド・パーの水割りに。

バーやスナックなどの女性にも大変人気があり、某ホステス嬢の「田中さんには、なんとなく色気があるわよ。政治家ってイカツイだけか、あがちゃったおじいちゃんか、見るからに助平っていう感じの人ばかりだからね。」という談話もあるほど。角栄本人は、「大きな物語になるようなロマンスはなかった。」なんて言いながら、密かに思い出す淡い恋もあったらしい。

■そして総裁へ・・・
貧しい少年時代を過ごした後、夢を追いかけ上京、夜も眠らずがむしゃらに働き、19歳で社長に。そして30代で大臣になり、その後着実に党の実力者への道を進んで、ついには自民党総裁にまで上りつめた角栄。

昭和47年7月5日、54歳で第六代自民党総裁に選ばれた田中角栄、その人生最高の日の朝食のメニューを紹介する。

・ 白飯
・ 豆腐とナスのみそ汁
・ ぜんまいとこんにゃくの煮付け
・ ほうれん草のおひたし
・ ジャガイモと豚肉の煮付け

これらを縁側に置かれたテーブルで、背広姿のまま黙々と食べ、自宅を後にした。

****************************
闇将軍・田中角栄は平成5年12月16日、甲状腺亢進症に肺炎を併発して75歳で死去した。

自民党・田中家合同葬が12月25日午後1時から、青山葬儀所で行なわれ、葬儀委員長の河野洋平は弔辞で「生来の明るい性格と人一倍豊かな他人への思いやり、コンピューター付きブルドーザーと称された抜群の才知で驀進続けた党人政治家の努力の軌跡であり、戦後日本のめざましい経済発展と一種絶妙なアヤをなすものでした」と述べた。



・「ま、このー、シャケの塩引きと熱い飯、みそ汁。あれが一番だ」。
中曽根さんの頭を指して「光ってきたねぇ・・・」
・「心身共に健康であれ」
・「私は新潟県刈羽郡二田村の生まれで、5メートルも雪に沈む所から出稼ぎにまいりました。食っていけんから、こっちへ出てきた。」
・「家内がつくってくれた弁当をもって出る。家内の手料理を食べる。」
・「私が一番好きな人物は信長だね。私とそっくりだ。」
・「イヨッ」(入廷の時)
・「ま、このー」(口癖)

・王将
・北上夜曲(泣きながら歌った)
・悲しい酒
・影を慕いて
・君恋し
・ローレライ
・ダニューブ河のさざなみ


・好きなタイプ
健康な人
ユーモアがわかるひと
謙虚な人
・嫌いなタイプ
赤い口紅を塗る人
時間にルーズな人


・ 勇み足の角さん
・ わかった角さん
・ コンピュータ付きブルドーザ
・ ミスター自民党
・ 自民党周辺居住者
■角栄出世街道まっしぐら
29歳 衆院初当選
30歳 法務政務次官
39歳 郵政大臣(歴代最年少)
44歳 大蔵大臣(歴代最年少)
47歳 幹事長
54歳 総理大臣
■娘・真紀子への想い
一人娘であった真紀子嬢を角栄は当然のように溺愛した。かつて馬主で会った頃は、愛馬にマキノホープ、マキノカツラなどの名前を付けたほど。しかし真紀子嬢が劇団「雲」に入団したときは、往復ビンタで激怒した。しかし真紀子嬢、実力行使で入団。

■角栄、お金を語る
「無学な母だが何人にも代え難い教えを残した。『貸した金は忘れてもいい。借りた金は一生忘れるな』、これは娘にさえ教えて実行させている。」
「金なんて大したものじゃないさ。金を政治家の条件にするのは間違いだね。政治家はアイデア・マンでなくては。」

■参考文献
田中角栄データ集(株)データハウス
The自民党大辞典(徳間書店)
田中角栄の大反撃(光文社)
田中角栄と日本人(山手書房)