先日、お隣の奥さんと、「今度ウチでバーベキューでもしましょうよ~」なんて話をし、「たまにはウチのベランダでやりませんか?」なんてお誘いした。結局のところ、小さい子どもがいる近所の5家族が集まることとなり、日程を決めたところで、隣の奥さんがメールをくれた。「実は子どもたちってすごく活発なんです。村井さんの御宅のベランダに、おとなしくしているとは思えません。家中で鬼ごっこしてしまうのではないかと心配です」、と。
そこで考えた。ダメだ、ウチでは危険すぎる。第一、トビーリブが子どもと仲良く遊べるとは思えない。ウチの一階にはデカいバイクが2台あり、その上、危険な工具が山積みされている。ウチの構造を考えてみると、大人は楽しんでもらえるとは思うが、乳幼児が100%安全に遊べるとは思えない。もちろん100%安全だなんて家はそうそうないだろう。しかし、わが家はかなり大胆にオープンスペースがあり、転落する危険が、それこそ100%ないとは言い切れない。
ちと困った私は、結構気軽に、「すいません、確かにウチは危険がいっぱいですので、お庭を貸していただけますか。料理は私が用意させていただきます」と返信し、隣の奥さんは快諾してくれた。お隣の庭はきれいに整地されていて、ウチのようにデコボコではないし、巨大な石が散乱しているということもない。リビングは一階。広々とした御宅で、子どもにとっては安全な環境。
気軽におねがいしてしまったものの、昨日、お隣で、いざ焼きそばを食べ始めてみて、その おねがいがいかにずうずうしかったかということを思い知らされたってワケだ。
子どもって、本当に活発だ。無邪気で、破天荒で、走り回り、泣き、食べ物を大胆に食べ、はっきりと書けば、めちゃくちゃにしてしまう。それはもちろんほほえましい光景で子どもだから当然なんだが、片付ける側に立って考えると、悪夢じゃないか。非常に申し訳ないなと思い、大反省だ。
そして、近所の奥様たちの話を聞いていて、色々考えさせられた。子どもが成長するに従い、私はてっきり、楽になっていく方向に育児が進むと思っていたのだけれど、それは大きな勘違いだったなと。幼稚園に行けば行ったで色々あるだろうし、子供同士が遊ぶようになればなったで、親が心配しなければならないことも山積みなんだなと。
こんなことを感じながら、1人黙々と焼きそばを食べ、隣の奥さんとぐびぐびビールを飲んでいたところで、子どもの教育の話になった。私はとにかく毎日ギリギリで動いているので、フタゴーズの教育、とくに学習面について意識することが殆どない。小さく生まれて、育つかどうかワケわかんなかったということもあり、とにかく毎日食べて、ぐっすり寝てくれりゃいいかなと思っていたので。しかし、それは間違いだったみたいだ。
最近、大学時代の友人と子どもの教育について話す機会があり、自分の自覚のなさっていうのかやる気のなさっていうのか、とくに教育面に関する脱力ってのはいけないなと思っている。本当によく、「英語はどうするの?」って聞かれるのだけれど、全然考えていなかったってのが、正直なところだ。
いや、英語神話の崩壊っていうか、そういうものに脱力している、そう表現したらいいのか。 英語一本じゃ食ってけないから。
確かに、私がまだ10代だった頃、英語がデキることはひとつの武器だと社会的に認識されていたと思う。でも今はどうだろう。私が産まれた頃、ざっと40年前としよう。その頃、私たちの周りに、現代ほど英語が氾濫していただろうか。
今の子どもたちは、産まれた直後から、ありとあらゆる英語情報を簡単に手に入れられる環境にある。ケーブルテレビをつければ、それこそ24時間英語の番組を見ることができる。アマゾンでワンクリックで洋書を買える時代と、わたし達が苦労して英語の本を買っていた時代とでは大きな差がある。教えなくとも、勝手に英語が母国語と同じように、植えつけられていくのではないかと思うのだ。
英語がある意味特殊な技能として認められていた時代も、そろそろ終わるんじゃないか。たぶん、フタゴーズが成人する頃、英語の読み書きは当然になってんじゃないかなと。
そういうことを踏まえて考えると、やっぱり、親が子どもにしてあげられるバックアップっていうのは、この厳しい時代を生き抜くサバイバル術というか、1人格の基礎を支える精神力というか、大きな波を乗りこなす力というか、そういったものを培う手助けなのではないかと。自分の子ども時代のことを考えてみると、勉強なんて大嫌いだったし、成績も限りなくオール1に近かったような記憶がある。親にいくら勉強しろと言われたって、宿題忘れて廊下に立たされたって、やりたくないことはできなかったし、やろうとも思わなかった。押し付けられると逃げてばかりだった私の子どもが、勉強好きになるとは到底思えない。
結論としては、結局親が子どもにしてあげられることは、健康的な食事を用意すること、安心して眠れるベッドを用意すること、それだけのような気がしてきた。それから、自分のやりたいこと、自分の能力を充分発揮できる何かを見つけられるような文化的生活っつーのかしら、そんなものを出来る範囲で用意してあげることぐらいかと、漠然と思うのであった。
いや、勉強もある程度は教えなくちゃダメなんだろうけど……めんどくさいな…… 勝手にやってくれないかしらん……