スターバックスと私
2007年11月 9日
まだ学生だった頃の話だ。
アルバイト先に、3カ国語を操る聡明な女性がいた。年の頃は40代ぐらいだったのだろうか、ショートカットがよく似合う、とびきりの美人だった。笑顔はふんわりとやわらかく、しかし仕事になると表情がピリッと引き締まり、妥協を許さない姿勢が小気味よい。ひとりで一軒家に住み、「やっぱり庭の手入れが大変よ」とこぼす様子さえ格好よく、憧れた。
「隣のビルにスターバックスができるんですって!」
ある冬の朝、彼女が声を弾ませた。スターバックスが日本に進出して間もない時期で、私がそのシアトル系コーヒーショップを知ったのはこのときだった。「私はね、カフェモカが好きなの。フワッフワのクリームが載っているのよ」と教えてもらい、開店の日、わくわくしながら彼女に連れられ、行列に並んだ。もちろんカフェモカを頼んだ。こんなにカジュアルでお洒落な飲み物は初めてだと思った。チョコレートの甘さがうれしかった。しかし、どうやらホイップがくるりと頂上を飾っているのはアイスモカの方だとわかり、真冬なのに冷たいモカを頼んだこともあった。期待通りのフワフワクリームに、寒くても幸せになった。
さらに彼女は、「私はエクストラショットを入れてもらうの。コーヒーが濃くなっておいしいわよ」と言って私を驚かせた。当時、コーヒードリンクを自分仕様にカスタマイズしている人などほとんどいなかった。さっそく真似すると、深みのある味わいが大人っぽく、ますますコーヒーが好きになった。
職場のコーヒーメーカー用に、豆を挽いてもらうこともたびたびあった。待っている間に、「グアテマラ・アンティグアです」と、小さなカップに本日のコーヒーを注いで差し出してくれるスタッフもいた。大人の味がして、ドキドキしながら大切に飲んだ。
バイト生活を卒業し、サラリーマンになってからは、スターバックスは私のオアシスになった。紫煙漂う昔ながらの喫茶店で時間をつぶせば、髪や服に匂いがこびりつき、サボっていたのがバレてしまう。全席禁煙のコーヒーショップは貴重な存在だった。ライトはほの暗く、こざっぱりしながらあたたかい色使いのインテリアも好きだった。運が良ければ、座面の奥行きがたっぷりとしたソファにも座れた。張り地の手触りも座り心地も気に入り、お店の人に、どこで買えますかと訊ねたこともある。北欧から買い付けているのだと教えられた。
協調性の足りない私に、サラリーマン生活は苦痛で仕方がなかった。上司や同僚と並びあった机に向かっても、落ち着いて仕事ができなかった。右隣の男がマウスをカチカチとクリックしながら呪文のような独り言をつぶやき、ななめ後ろの0.1トンが無呼吸のいびきをぶっ放していた時期もあった。どうにも集中できないときには、ノートパソコンを鞄に入れて昼食に出かけ、午後のはじまりの数時間、スターバックスで仕事を進めた。少しでもひとりで仕事と向き合う余裕があった日は、職場に戻っても夜遅くまでがんばれたと思う。上司と対立し、行き場のないネガティブな感情を抱えていても、あたたかいコーヒーが食道を伝い胃に落ちると、自分のかたくなさが少しほぐれた。学生時代と違い、甘いものをほとんどとらなくなってからは、本日のコーヒーが定番となり、牛乳のかわりに豆乳を使えると知って以降は、ソイラテを頼むことが多くなった。ソイラテには、いまも時折エクストラショットを入れてもらう。やはり味がぐっと力強くなるので好みだ。
念願の脱サラを果たし、自宅で仕事をするようになったいまも、バイトの合間に、職場からのエスケープに、訪れていたスターバックスをなつかしく思い出し、たまに外出した折には空いている席がないかどうかガラス越しに覗く。正直、コーヒーの味を追求するならおいしいところはほかにたくさんある。でも、数えきれないほどの思い出が積み重なったスターバックスは、時間も空間も超えて、私にとって間違いなくスペシャルな店だ。3カ国語を操る彼女ともご無沙汰して久しいが、エクストラショットを入れるたびにふとあの優しい表情を思い出す。フリーになったって仕事は大変だし、他人と関わらずに働くなんて不可能だと思うけれど、隣で「死んでしまえ」とつぶやく先輩がいる職場より、ひとりきりの自宅で、ダイニングの焦げ茶色の机いっぱいに資料を広げて作業できることがどんなに幸せかということも、スターバックスは私に思い起こさせる。お気に入りの飲み物を迷わず注文でき、気取らずに時間を忘れてくつろげる。家で煮詰まっていても、外でのコーヒーブレイクで新しいアイディアが生まれることもある。いまも緑と黒のマークを見つけると、ほっとするような、わくわくするような気持ちになる。
だから......
アルバイト先に、3カ国語を操る聡明な女性がいた。年の頃は40代ぐらいだったのだろうか、ショートカットがよく似合う、とびきりの美人だった。笑顔はふんわりとやわらかく、しかし仕事になると表情がピリッと引き締まり、妥協を許さない姿勢が小気味よい。ひとりで一軒家に住み、「やっぱり庭の手入れが大変よ」とこぼす様子さえ格好よく、憧れた。
「隣のビルにスターバックスができるんですって!」
ある冬の朝、彼女が声を弾ませた。スターバックスが日本に進出して間もない時期で、私がそのシアトル系コーヒーショップを知ったのはこのときだった。「私はね、カフェモカが好きなの。フワッフワのクリームが載っているのよ」と教えてもらい、開店の日、わくわくしながら彼女に連れられ、行列に並んだ。もちろんカフェモカを頼んだ。こんなにカジュアルでお洒落な飲み物は初めてだと思った。チョコレートの甘さがうれしかった。しかし、どうやらホイップがくるりと頂上を飾っているのはアイスモカの方だとわかり、真冬なのに冷たいモカを頼んだこともあった。期待通りのフワフワクリームに、寒くても幸せになった。
さらに彼女は、「私はエクストラショットを入れてもらうの。コーヒーが濃くなっておいしいわよ」と言って私を驚かせた。当時、コーヒードリンクを自分仕様にカスタマイズしている人などほとんどいなかった。さっそく真似すると、深みのある味わいが大人っぽく、ますますコーヒーが好きになった。
職場のコーヒーメーカー用に、豆を挽いてもらうこともたびたびあった。待っている間に、「グアテマラ・アンティグアです」と、小さなカップに本日のコーヒーを注いで差し出してくれるスタッフもいた。大人の味がして、ドキドキしながら大切に飲んだ。
バイト生活を卒業し、サラリーマンになってからは、スターバックスは私のオアシスになった。紫煙漂う昔ながらの喫茶店で時間をつぶせば、髪や服に匂いがこびりつき、サボっていたのがバレてしまう。全席禁煙のコーヒーショップは貴重な存在だった。ライトはほの暗く、こざっぱりしながらあたたかい色使いのインテリアも好きだった。運が良ければ、座面の奥行きがたっぷりとしたソファにも座れた。張り地の手触りも座り心地も気に入り、お店の人に、どこで買えますかと訊ねたこともある。北欧から買い付けているのだと教えられた。
協調性の足りない私に、サラリーマン生活は苦痛で仕方がなかった。上司や同僚と並びあった机に向かっても、落ち着いて仕事ができなかった。右隣の男がマウスをカチカチとクリックしながら呪文のような独り言をつぶやき、ななめ後ろの0.1トンが無呼吸のいびきをぶっ放していた時期もあった。どうにも集中できないときには、ノートパソコンを鞄に入れて昼食に出かけ、午後のはじまりの数時間、スターバックスで仕事を進めた。少しでもひとりで仕事と向き合う余裕があった日は、職場に戻っても夜遅くまでがんばれたと思う。上司と対立し、行き場のないネガティブな感情を抱えていても、あたたかいコーヒーが食道を伝い胃に落ちると、自分のかたくなさが少しほぐれた。学生時代と違い、甘いものをほとんどとらなくなってからは、本日のコーヒーが定番となり、牛乳のかわりに豆乳を使えると知って以降は、ソイラテを頼むことが多くなった。ソイラテには、いまも時折エクストラショットを入れてもらう。やはり味がぐっと力強くなるので好みだ。
念願の脱サラを果たし、自宅で仕事をするようになったいまも、バイトの合間に、職場からのエスケープに、訪れていたスターバックスをなつかしく思い出し、たまに外出した折には空いている席がないかどうかガラス越しに覗く。正直、コーヒーの味を追求するならおいしいところはほかにたくさんある。でも、数えきれないほどの思い出が積み重なったスターバックスは、時間も空間も超えて、私にとって間違いなくスペシャルな店だ。3カ国語を操る彼女ともご無沙汰して久しいが、エクストラショットを入れるたびにふとあの優しい表情を思い出す。フリーになったって仕事は大変だし、他人と関わらずに働くなんて不可能だと思うけれど、隣で「死んでしまえ」とつぶやく先輩がいる職場より、ひとりきりの自宅で、ダイニングの焦げ茶色の机いっぱいに資料を広げて作業できることがどんなに幸せかということも、スターバックスは私に思い起こさせる。お気に入りの飲み物を迷わず注文でき、気取らずに時間を忘れてくつろげる。家で煮詰まっていても、外でのコーヒーブレイクで新しいアイディアが生まれることもある。いまも緑と黒のマークを見つけると、ほっとするような、わくわくするような気持ちになる。
だから......




ハンコ職人&似顔絵コラムニスト・錦小路ナンシーの、理由なきハンコと理由なき反抗(?)の日々を綴ります。

マンモス稲子の「ステキよぉ、お客さん!」

東京在住の喰い倒れ会社員えとこによる、旨いもの探しと喰ったり呑んだり作ったりの日々。

きみ天

京都在住。猫二匹と暮らすひもの女。趣味はのんびり。禁酒宣言中!

私=Yさん=Yみち

ブッシュ大統領のストーキングを趣味とする主婦。翻訳の仕事をしています。